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50年のあゆみ | みやぎのあられ50周年特設ページ
History
創業前夜
みやぎのあられ創業者 石田 定克の父である石田孝一は、宮城県亘理町で米穀商を営み、自身も米作りを手掛けていました。
ある時商用で東京を訪れた孝一は、銀座のデパートであられが飛ぶように売れているのを見たそうです。
「自分たちのもち米なら、美味しいあられを作れるのでは」今でいう6次産業化を考え付いたのでした。
ちょうど高度成長期を前にした、昭和40年ごろのことです。
そこで、孝一の長男である定克が高校卒業後、山形のあられ屋へ修業へ行くことになりました。
定克は当時の心境を数十年後に振り返り、「米作りをする農家だから、米に関わる仕事をしたかった」と語っています。
米を大切にする心が、みやぎのあられの土台となっていることを表す言葉です。
みやぎのあられ株式会社 創業
定克は山形で1年、東京で2年のあられ屋修業を経て、亘理町へ帰郷。
1976年4月に「みやぎのあられ株式会社」を設立し、代表取締役に就きました。
孝一や家族の応援もあり、「石田屋」という昔ながらの屋号も使いながら米菓づくりを始めました。
夫婦2人三脚での米菓づくりスタート
定克は1974年、妻 尚子(しょうこ)を迎えます。
「自分たちで作ったもち米を、美味しいあられにして食べてもらいたい」。
職人気質の定克を献身的な尚子が支え、二人三脚で米菓づくりに励みました。
定克がこだわったのはもち米だけではありません。
海苔巻きに使う海苔は、昔から地元で美味しいと評判だった宮城県東松島産の一級海苔のみ。(※1)
宮城県蔵王町で作られたフレッシュバターと塩しか使わない商品も開発しました。
何より素材を大切にし、余計な添加物は使わない商品づくりに徹しました。
修業先で学んできた「天日干し」(※2)などの伝統製法は手間暇がかかり、休む間もありませんでしたが、「もち米の旨味と風味を損なわない」という目的のため、頑なに守り続けました。
地道な努力が実を結び、次第に地元のお客様が増え、催事販売に訪れた全国のデパートなどでも評価をいただけるようになりました。
(※1)東松島産の一級海苔を1つ1つ手巻き
(※2)生地の両面をまんべんなく乾燥させるための 「天地返し」はまさに熟練の職人技。(創業者 定克)
長男 石田亮平が入社
会社は地元で老舗と呼ばれるまで定着していましたが、定克と尚子は子どもたちに家業を継がせる考えはありませんでした。
当時は休む間も、寝る間も惜しんで働いた2人。自分たちと同じ大変な思いをさせたくないと、子どもたちには「継がなくていい」と言い続けてきたそうです。
ですが、長男の亮平は20代半ばになったころ、「自分がやる」と言い出しました。
父親が守ってきたあられの味を絶やしたくない。両親や家族が築いた会社を受け継ぎたい。
何より、亮平は父のあられが大好きだったのです。
父を師として、時にはぶつかりながらも、あられづくりを学ぶ日々でした。
長男(現:二代目・専務取締役)の石田亮平
3.11 東日本大震災
亮平が会社に参画して数年が経った2011年3月、東日本大震災が起こります。
本社のある亘理町は、津波被害も発生し、多くの犠牲者が出ました。
当社は津波こそ免れたものの、地震による被害で工場が一部損壊。
何より当時は宮城県内全域が非常事態となって経済が麻痺していました。
県内が中心だった会社の取引先はほぼ営業を休止しており、販路が経たれたのです。
「このままでは会社が立ち行かなくなる」
亮平は、あられをスーツケースに詰め込み、ようやく動き出した夜行バスに乗って何度も東京へ向かいました。
復興支援として首都圏で開かれる催事に出店し、あられを販売するためでした。
「たくさんのお客様にあられを買っていただき、励ましの声をいただいた」と、亮平は振り返ります。
ご支援のおかげで会社は危機を脱することができました。
いただいたご縁は震災から10数年が経った現在も続いており、
毎年3月にあられをご購入くださるお客様や、毎年のように亘理町を訪ねてくださるお客様も多くいます。
皆様への感謝の思いを忘れることはできません。
ネットショップ販売を開始
「より多くのみなさまにみやぎのあられを届けたい」という想いから、全国であられを購入できるようネットショップを開設・スタートさせました。
石田美智代が代表取締役に就任(現代表)
亮平は2013年に結婚。妻 美智代も少しずつ会社の仕事を手伝うようになりました。
2人は2022年、定克から事業を継承することになり、代表には美智代が就任。
亮平は開発や製造、営業活動に徹し、経営全般を美智代が担っています。
先代にならい、二人三脚でのあられづくりです。
亮平:職人として、商品開発や製造を行う
これからのみやぎのあられ
会社を支えてくれる従業員も少しずつ増えました。
受け継いだ技術や伝統を守りつつ、時代の先を行く商品や思想をどう生み出していくか。
地域や関わる方々、さらには社会全体にどのように貢献していけるか。
次の50年につなげるために真摯に考え、挑戦していきます。






